青山の名前の由来

青山という地名の由来、ご存知ですか?
徳川家康以来の家臣であった青山家の下屋敷があったのが青山の地で、青山の地名はその青山家から来ています。
何の本で読んだかは忘れましたが、青山忠成が徳川家康より、馬で一気に走った所を自分の屋敷地にして良いと言われ、馬が使い物にならなくなるまで走り回って現在の(現在にほぼ近い)青山地区一帯を自らの屋敷地とした‥‥らしい。それにしては広いですねぇ。
つまり、青山家ゆかりの地として「青山」という地名が生まれたという、単純といえば単純、由緒あると言えば由緒ある地名なのです。

現在、巨大なCSKビルの建っている所が梅窓院というお寺で(現在、本堂は同ビルの裏に移されている)、このお寺はそもそも青山家の下屋敷内に、青山家の菩提寺として、およそ350年ほど前に建立されたものだそうです。
青山家(分家)の領地は、「郡上躍り」で知られる現在の岐阜県郡上市であり、毎年青山で郡上踊りが催されています。何故青山で郡上踊りなのか? と思っていましたが、こういうつながりがあったのですね。今年の『郡上おどり in 青山』は、9月13日(土)・14日(日)梅窓院境内にて開催されるそうです。
梅窓院について詳しくは、梅窓院ホームページへ。

青山通りが現在のような大通りになったのは東京オリンピックの時。それまでの22m道路が一気に40m道路に姿を変えたのです。これだけの大通りの貫通する街が、埃っぽい無味乾燥な街にならずに済んだのは、考えてみれば不思議な事かも知れません。その辺りの事情を探って行くと、青山という街のもつ魅力の源泉が見えてくるかも知れませんね。
 → 関連ページ 戦後の街青山(ギャラリー「ときの忘れもの」)

キラー通りの名前の由来

青山には様々な名前の付いた通りがあります。「キラー通り」「骨董通り」などなど。まずは「キラー通り」から。

この名前が生まれたのは、今から30年程前、団塊世代の方には懐かしい「VAN」が産声をあげた頃の事で、当時から既に頭角を現わしていたファッションデザイナーのコシノジュンコさんが名付け親なのだそうです。外苑前にあったご自身のブティックを南青山4丁目の外苑西通沿いに移したのですが、その当時、通りにはまだ名前(愛称)が無かったのだそうです。この通りは東京オリンピックの時に出来た(拡幅工事のようです)通りです。「外苑西通り」という名称の他に、かつて「環状4号線」という名前を聞いたような記憶もあります。
ここにブティックを移したコシノジュンコさんは、一種の「ノリ」で名前を付けられたらしいのでが、何故「キラー」なのか。ここが興味深いところです。
ご本人にインタビューした訳ではないので確かな事は言えませんが、向側は青山墓地。そして70年頃といえば、「ピンキーとキラーズ」を思い出しますが、これが無縁であったとは思えません。
また当時はこの通り、青山三丁目から霞町まで信号機が一つもなく、カミナリ族やら車でスピードを競い合う若者達がビュンビュン走り回り、それこそ事故も多かったと聞きます。そんなこの通りを、一流のウイットをもって名付けるとしたら「キラー」の名前が出て来ても何ら不思議は無いと思います。ただ、ある雑誌で読んだ記憶によりますと、コシノジュンコさんが名付けられたのは「キラーストリート」であって、それが何時の間にか「キラー通り」と日本語的名称になってしまったというのが、本当のところのようです。
一方別の話として、これは全く不確かな「また聞き」情報ですが、この通りでは飲食店やブティックが出来ては消え出来ては消えしたため、ここに店を出すと必ず潰れるというまことしやかな噂が噂を呼んで、いつしか誰がいうとも無く「キラー通り」と呼ばれるようになった‥‥と。
前述のコシノジュンコさんの話が本当で、これは眉唾ものの話ですが、言われてみれば「なる程…」と思いたくなるのがこの手のお話。あながちデタラメとも言えないのかも知れませんね。

   
    骨董通りの名前の由来

名付け親は、テレビの「何でも鑑定団」でお馴染み、『いい仕事してますね〜え』の名セリフで有名な骨董店「からくさ」の御主人、中島誠之助さんです。
骨董通りに昔から骨董店(古美術商)が多かった訳ではなく、ある時、ある事情により、この辺りに集まって来たのだそうで、その辺りの詳しいお話は近いうちに「ストーリー」としてまとめてみたいと思っております。



その他の通りの名前

・スタジアム通り--その名の通り、スタジアムがあるから。
 秩父の宮ラグビー場、神宮球場、ずっと行けば国立競技場。この通りの名は、唯一「お上」の手で標識が付けられている。
・チェリー通り(墓地通り、消防署通りとも言われる)--伊藤忠ビルの真向かいから、真直ぐ青山墓地の中を抜けている通り。名前は商店会連合会が公募で募集したらしいと、ジモティから聞きました。墓地をまっすぐ抜ける通りは、両側桜並木で、だから「チェリー」。
・みゆき通り--表参道交差点から根津美術館へ至る、ファッションストリート。これも上記同様と聞きましたが、雑誌などによっては「フロムファースト通り」と書いている場合もあり、ホントの処は良く分かりません。
・ぼちぼち通り--梅窓院裏手の目立たない細い道。「ぼちぼち」は勿論、「墓地」から来ています。いつからこう呼ばれているかは分かりませんが、どこかに1〜2箇所、小さなプレートがついていたと思います。
・キャットストリート--この通りは「青山」と言うよりはむしろ「原宿」。実際、青山に古くからいる人々は、 この辺りを「青山」とは呼ばない。名前の由来は、昔、野良猫が多かったからだと言うが、曲がりくねった裏路地のイメージを色濃く残すこの通りは、イメージ的に「ネコ通り」的感じはありますね。


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