

ポッポさんの簡単プロファイル

東京都在住(勤務地=港区)
年齢=35+α(独身)
職業=営業企画(某・花の会社)
趣味=バンド、アート、読書

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◆Vol.9:「読書の秋」
◆Vol.10:「方向感覚」
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Vol.14 03, April

「五感」
新聞で、4歳で視覚を失いながらも上智大学を卒業し、翻訳の傍らエッセイを書いているという三宮麻由子さんの記事が載っていて、ちょっと感動した。
お湯と水、注ぐ音で聞き分けることができるんだそうだ。拍手の反響音で会場の広さも判ってしまうという。素晴らしいな、の一言だ。

私といったら五体が大満足な上に、五感も揃って問題ないにも拘らず、世の中のいろいろなことにことごとく疎い。何のための五感なんだ?
最近観た映画「どろろ」も、主人公の百鬼丸が100の魔物に奪われた体の端々を取り返していく過程なんだけど、声帯がなく耳がない時は、第六感のようなもので感じ、相手にテレパシーで気持ちを伝えていた。
漫画の話と三宮さんの境遇を比べる失礼をするつもりはまったくないのだけれど、「ない」ということが欠落を意味することでは、必ずしもないのでは、と思うのだ。
ひょっとしてある能力が非常に長けている人は、それがない人が代わりに身につけたものを身につけることが「できない」。不要だからだ。

同じように今の世の中で満たされていることは、同時にどうしようもない渇望を意味しているんじゃないだろうか。同じく「人より劣っている」と思う感覚は、ひょっとして逆にとても豊かなことなのではないだろうか、とまで思えてくるから、逆説というヤツは危険だ。

言いたかったのはそういうことじゃなく、自分がもし五感のうち何かを削らなければならないとしたら、何を削るだろう・・・・ということなんですよね。(結局話題が軽薄ですいません)
味覚がなくなったら食べることがとてつもなくつまらなくなるだろうし(むしろメタボラ我が身には良いのか?)
嗅覚は最も原始的な感覚だそうだからおそらく味覚以上に必要なことだろうし、見ることを奪われたら、現実的に私の日常の楽しみはほとんどなくなってしまう。
(映画でしょ、テレビでしょ、旅でしょ、読書でしょ、××でしょ。ムフフ。あっいかん)
聴覚も音楽を楽しむために、是非失いたくない。なんて表現なんだ。
てか聴覚がなくなるとかなりキツイらしいんです。水の中で聞こえない状態なわけでしょ。
でもどうしてもと言われたら・・・・嗅覚かなぁ。だってずっと風邪引いてると思えばいいんだもんね←そんな軽いことではない
たまにそんなことを考えると、聞いてかいで見て味わっている自分が判るので、良いにおいの価値とかが判って良いのではないでしょうか。

たとえばあなたなら五感のうちどれを差し出しますか?



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